まあるい生活

コンポストと暮らす

ミスからのほっこり時間

先日のこと。駅前まで来て必要な書類が不足していると気づき ”段取りミスったなぁ...” と少々がっかりしながら帰宅する途中でした。電車に乗るまえに電話で確認しただけマシなのですが、そんな残念な自分を責めてしまうのはいつものクセ。

少し頭を整理しようと目にとまったカフェに入ってみることにしました。初めて入るお店です。

席についてホッとして手帳を広げようとしていたら、見覚えのある顔。コロナを挟んで数年ぶりだけど、彼女は私を覚えてくれているだろうか?

覚えていてくれました。そしてコロナ前後の生活の変化や心境の変化など報告しあうも共感することばかり。何かとてもほっこりする時間になりました。

価値観の合う友人ほど大事なものはないと思います。きっと今日は彼女と再会するスケジュールになっていたんだろうなぁ。

 

※ちなみに本稿のタイトルはAIさんにつけて頂きました。

災害支援についての考え方

前回のブログで、与える側も受け取っている、と書いたのですが、元旦におきた能登半島地震のような災害では話が変わります。

あのような壊滅的な被害にあわれた方への支援は、スピードと質量が求められます。そして、シンプルに支援する。個人的には初期は小回りの利き信頼のおける地元のNPO団体、そして当該市町村に直接、というのが効率が良いように思います。大きな団体では現地にお金が届くまでに時間がかかりますし、必要経費も大きく目減りしてしまうと思います。ただ、広く浅くお金を集めるチカラはあるので買い物に行くたびに小銭を寄附するような利用の仕方には向いているでしょう。

ふるさと納税についてはやらないよりはマシなのかもしれませんが、現段階で見返りを求めることが必要でしょうか。今後数年継続して行うのなら良いかもしれません。

あと、ボランティアに行った人を叩く、そのようなエネルギーは非常に無駄な気がします。現地に居ない人間に判断など下せるものではありません。国が情報を収集しているなら、もっとスピード感をもって情報公開してもらいたいと思います。なにか不透明感を感じるから声を荒げる人、叩く人が出てくるのだと思います。こんなことに心を煩わせているのも無駄だと思うので、ここに書き出して終わりにしたいと思います。
もし自分があんな災害の当事者だったら、寒さで力尽き、感情もネガティヴに傾いてほぼ死んでいるはずです。寒さの中で亡くなった方々のご冥福をお祈りすると共に、心身共に傷ついた方々のご回復を心よりお祈り申し上げます。

与える側も受け取っている(無料お弁当配布ボランティア)

前の投稿で言及した作業とは、無料お弁当配布ボランティアのお手伝いでした。コロナ禍から始まって、今でも月に1回続いています。これまで何回か食材の差し入れをしたことはありましたが、当日のボラ参加は初めて。私はお弁当の盛り付けと配布を担当。会場の設営の他、温かい飲み物、寄附された食料品や文房具などの配布などもあり、十数名ものボランティアが分担して作業を行いました。

想像以上の作業量(全体)に驚きつつ、手際よく分担して設営を続けていくボランティアさんたち。地域の人が運営する地域の方のための配布会であり、与える側と受け取る側にそう大きな違いがあるようには見えませんでした。実際、私も現在無職で暇があるからお手伝いに行ったようなものです。むしろ、まかないを頂いて恐縮してしまいました。
意外と与える側と受け取る側には境界はない、むしろもっと与えることも受け取ることもカジュアルでいい、そんな気づきがありました。さらに言えば、与える側も何かしら受け取っているし、受け取る側も何かしら与えている、というふうに感じています。

ちなみにAIがタイトルを考えてくれる機能がついたので試してみたら、記事中に一度も「感謝」という言葉を使っていないのに、勝手に「感謝」という言葉を入れたあほくさいタイトルがつきました。こういうのが釣りタイトルってやつか。ちゃんちゃん。


👇Aiちゃんが考えてくれたタイトル

ソーシャルメディア向けタイトル

無職でもできる!地域のお手伝いで感謝のお弁当を #ボランティア

 

 

冬場は足を冷やさない!

昨日のことです。私にしては早起きをして朝風呂に入り身体を温めてから外出。目的地は自転車で5分、室内は暖かく、絶え間なく作業があったので寒さを感じませんでした。たいして疲れも感じていなかったのですが、、、家に帰って少し休憩していると、どうしようもない足首からのダルさを感じて、眠るに眠れず不快感が消えない。これは「冷え」だなと思いました。

 

普段、長時間立ち仕事だなとわかっているときは足裏にホッカイロを貼ります。それなのに数時間のお手伝いだからと今日はすっかり油断していました。

 

足が冷えてだるいときの対処法としては、お風呂に入る、足湯をする、足裏ホッカイロなど幾つか方法がありますが、今回はひさしぶりに布団乾燥機を出してきてベッドに横になりながら足元を温風で温めることに。タイマーが切れる前にほっかほかになりました。


思い切ってジョギングに行く、という方法も考えたのですが日暮れ時だったので却下。このあたりは治安の良い地域です。駅から住宅街までの道のりは深夜でも絶えず人がいて安心なのですが、やはり暗くなった公園に独りで行くのはちょっとやめておきたいと思います。

アウトプットとは何か?

今年1つめのブログに「インプットが捗らないのはアウトプットが足りてないから?」という投稿をしたのですが、今日、ウォーキングをしながらハッと気づいたことがあったので書いておこうと思います。

 

1/5に3つ投稿して、今日は記事の内容通り、手元に残す服と手放す服に仕訳けをしてゆきました。まだ十分着られるのに今及び未来の自分にはしっくりこなくて迷わず手放せる服、ほころびがあっても手放したくない服があります。裁縫仕事は苦手な方なのですが昨年「ダーニング」という言葉を覚えたので、動画を頼りに手元に残す服のほつれ等を直していました。(動画検索してみてください)

まあまあの時間をかけて修繕したのち肩凝りを感じたのでウォーキングへ。それまでブログはもちろんsnsの投稿も無し。歩きながら、昨日、あんなこと言ったわりにはアウトプットできてないなぁ、内側に溜まっていたのはあの程度だったのか大したことないもんだなぁ・・などと考えていたのですが。あれ?そうか、服を仕訳けをして愛用品のメンテナンスをした、その行動そのものが「アウトプット」なんだ!と気づきました。

Web検索してみるとやはりアウトプットとは【 1、話す 2、書く 3、行動する】とのこと。そう考えると、インプットとアウトプットの比率が 3:7 というのもしっくりきます。知ったことを気づきに変え、自分の行動に反映させるのはそれなりのパワーが必要。

 

「ダーニング」という言葉を知って、自分でもやってみたかったのに、忙しさにかまけて先延ばしにしていた。このことも自分の中のノイズになっていました。

未完了を完了にする、完了されられないまま手放しが可能なものは手放す、そのような作業もひとつのアウトプットと言えると思います。結論を出す、決断を下す、という行動だからです。また生活の中のノイズを減らす、という表現をされているポッドキャストがあり、ときめき、よりも、快・不快、ノイズを減らす、の方が片付け初心者には導入しやすい判断基準かなと思いました。

とにかくアウトプットという言葉を今まで誤解していたとは恥ずかしいことです。言葉を綴るよりも行動することの方が質量が大きい。また行動した人が発する言葉の方が重みがあります。インプットしたら行動してみる。行動したら書いてみる。これを意識的にやってみたいと思います。

災害報道との付き合い方

1/5、3つ目の投稿。やはりアウトプットされたがっていた想いが溜まっていたようです。便秘が重症化すると食欲がなくなってくるのと一緒ですねw

 

元旦から大きな震災が発生しました。羽田空港の事故も震災関連と言えるでしょう。お亡くなりになられた方のご冥福と共に、被災された皆さまの平安と健康の速やかな回復をお祈り申し上げます。

なぜいつもこんなに寒いときに・・と思うのですが、むしろ寒い時に地震が起きやすいと聞いたこともあります。寒い、というだけで辛い。体力も奪われメンタルも落ちやすくなると思います。避難所の方々も早く温かいものが食べられてお風呂に入れるようになりますように。

snsを見ていると東日本大震災の経験者の方から、盗難や性的な被害を避けるためのアドバイスなども流れてきます。そんなことも心配しなくてはならないなんて悲しいことですが、経験のシェアはありがたいことだし、必要な人のところへ届くといいなぁと思います。そもそも何時か自分も当事者になる可能性がある。シェアされた経験にはある程度、目を通しておこうと思っています。

 

ただ、延々と続く被害状況や死亡者数の報道に目も心も奪われてしまうのは気を付けた方が良いです。私もそうですが、繊細さん気質を持っている人は特に距離を置くように気を付けましょう。

ウチはアメリ同時多発テロと呼ばれている2001年の911事件以来、TVを持たないようになりました。東日本大震災のときもTVはありませんでしたが、あのときは動画サイトでもNHKや他局のニュースが見られるように解放されていたので、かなり見てしまいました。結局、同じ映像の繰り返しなのですが、心がぎゅっとなって思考停止に陥ってしまうのです。

もちろんご家族やご親族、友人などが被災地にいらっしゃるときは、その方々の救済が第一です。しかしそうでは無い場合、災害が起きたときにするべきことは、自分の身の回りを見直す、ということなのではないかと思います。

 

ここまで書いてきてふと思い出したのが「目黒巻き」。
西荻みなみさん主催の「学びのカレッジ(2021)」で地域・防災を学ぶコースがあり、そちらの参加者の方の発表で知ったものです。

www.heart-to-art.net

端的にいうと『災害状況を想像する力(災害イマジネーション)を高めるツール』。各人ごとのシミュレーションを作ると、何が必要で何が不足しているかわかる!昼だったら、夜だったら、幼児がいる、ペットがいる、一人暮らしで親は遠方、たくさんのシチュエーションがあります。

 

「目黒巻き」を知ったとき、これはやらねば!と思ったはずなのに・・・この機会に作らねば。老親とはどのように連絡を取るか、なども打ち合わせしておいた方が良いかもしれません、

 

センスの良い人は取捨選択が上手

1月5日のブログ、2つめ。やる気の波が押し寄せてきています。

 

有難いことに私には、お料理上手、盛り付け上手、センスの良い友人がたくさんいます。いつも素敵だなぁと思いつつ、自分のセンスの無さを嘆くことも多々。

これはもう才能の違いだから仕方ないと思っていたのですが、センスの良い人のライフスタイルから、ちょっとだけ学べそうなポイントを発見しました。

それは、センスの良い人は取捨選択が上手、ということ。

そして、取捨選択の判断がサクッとできる。時間をかけない。思い煩うことがない。

これはモノの数が多いか少ないかということとは違います。

自分の好きなものと不要なものが明確である、ということです。

 

世にはいわゆる断捨離とか、捨て活、様々な考え方が紹介されていますが、最終的に、捨てるか残すか、の判断をするのは本人です。判断、は脳の活動ですから、判断の数が多いと結構、疲れます。

また実家の片づけのように「不用品」と割り切れているものを廃棄する場合も、ごみ達の”捨てられたくない”という意思ごと引きずり出さなくてはならないため、掃除の後にどっと疲れが出る場合があります。

 

思うに、片づけが苦手な人のやっていることは、マイナスをゼロに戻そう、戻そうとしているが、センスの良い人の片づけは、美しくて心地の良い環境づくり

↑やっとここに気づいた。

片付けていれば素敵な部屋になる、と思っていたのですが、そうでは無かったのです。

素敵な部屋は作るもの。

自分が好きなもの、素敵だと思うものを集めて、それ以外を捨てる。

ちょっとこんまり教に似てきましたが、センスの良い人って自然にあれをやっているわけですね。

 

しかしながら。もったいない属性の私がいきなり捨て活するのは難しいので、課題のレベルを下げました。

私の今の課題は、クローゼットの中身をこの4つに分類すること。

・愛用品(手元に残す)

リユース(手放す-チャリティフリマに出す)

・リサイクル素材(人にあげるほどの価値はないけど好みの生地は素材として手元に残す)

・資源ごみの日に出すもの(手放す)

 

フリマアプリが面倒くさくても、幸い身近なところで定期的にチャリティフリマがあり、古着の回収日も毎月あるので、その日を念頭に置きながらクローゼットを見直すのもいいですね。食器や小物類なら家の前に「ご自由におもちください」と出しておくのも良く見かけます。

愛用品はとことん使うことが前提となりますが、いまいちしっくりこないモノは粘着質な存在となってしまったり人に譲れないほど古びてしまう前に手放せるようになりたいなぁと思います。