まあるい生活

コンポストと暮らす

読書日記:嵐を呼ぶ少女とよばれて-市民運動という生き方(菱山南帆子)

著者は1989年生まれ。まだ30代の若い女性だが、小学生時代からの長い社会運動との関わりを持ち、2015年安保闘争と呼ばれる反戦運動では、多くのデモを牽引する側に立つ。

 

 

国会前のデモは、911以降、TVを手放しニュースを避けるようになっていた私にも伝わるほどの熱気だったことを思い出す。

この本は、父の本棚から借りてきた。離れて暮らす私に語ることはなかったが、父も、そのような地方デモに参加することがあったようだ。

 

父たちの世代(70代後半~)は、戦後苦労した先代を知っている。経済成長期の時流に乗って、お金持ちは遊ぶ余裕もあっただろうが、庶民は自分の楽しみなどを後回しにして、長年、働きづめに働き、家族を養い、多額の税金を納めてきた。その税金でもって戦争へ加担するなど、耐えがたいことであっただろう。

 

著者は若い女性でありながら、そんな父世代の活動家たちの仲間となり、活動を共にしていく。

 

私自身は、そのような対立の構造が平和的でないと思っていたし、それらの活動で成果が出ているのだろうか、と少し冷めた目で見ていた方の人間だ。彼女の闘争への情熱がいまいち理解できないまま読み進めていった。

 

本書の終盤で、結果が出せなかったことに対しても、"ALL or NOTHING" ではなく、投下される爆弾が一つでも減れば良かったと考えないと運動は続けられない、という彼女の言葉にハッとした。まさに自分がゼロイチ思考に陥っていたのだと気づく。

 

私としては、親世代の闘い方を卒業し、なりたい未来を自分たちの手で創っていく、そのような若い世代の考え方に共感し、自分もそういう方向に進んでいきたいと思っている。と同時に、昨年の杉並8区の市民活動が実を結ぶ瞬間も見た。著者が、国会前のデモだけではなく、市民に働きかけて理解を得る必要性に気づき、街頭宣伝という手段を採用し始めるシーンには、非常に納得がいった。

 

一般的に、社会を変えていくには市民活動だけではなく、企業と行政の三者一体となった動きが必要と言われているが、もし相手が、連携して活動していく意思が全く無く、権力を振りかざすだけであれば、そこには闘いも必要なのかもしれない。

そもそも、その権力を振りかざすような国家を作らせないことが重要だ。日常生活を支えている足元をすくわれないように、市民の一人ひとりが、政治と日常は地続きなのだという意識を持つことが必要なのだと痛感した。

(←痛感で終わっている場合じゃないんだよ!by 自分 )